76歳の父、便が黒い。十数年ぶりの大腸検査
タイトルの通りですが、76歳の父親が大腸がんになりました。
(もう手術は終わり、退院しています)
普段便秘がちな父は漢方を常時服用、それでも便秘は改善されない日々。
そんなとある日・・・・便が黒い。
さすがに不審に思い、検査しようと思ったらしいが、実に十数年ぶり。
私でさえ過去10年以内に大腸検査してるのに、慢性便秘のくせしてなぜその検査怠った?
っていうか、母も気づいて促すことはできなかったのだろうか。
自分は一生懸命検査やら病院やら通ってるのに、なぜ気づかない。
母を責めるのも違うから言わないけど、こうやって気づかぬうちにがんは進行していくのだろうなと思う。
十数年ぶり大腸検査を終えた父は、医師から「結果は奥さまとお子さんといらしてください」と言われた・・・・と報告。
これは巷でよく聞くやつだしテレビでよく見るやつだ。
「ああ、がんなんだな」と父は思ったそうで、私もそれを聞いてがんを確信。
明らかでもとりあえず細胞検査などしてから結果を告知しなきゃいけないんでしょうね。
思ってもその場で言えないのでしょうね。
そこらへんは詳しくないのでわからないけれど、結果まで本人(父)はもやもやしたことでしょう。
大腸がんの告知で大きな病院への紹介状
さて、検査結果を親子で聞きに行くとレントゲン写真を見せられ「悪性の進行性大腸がんです。一刻も早く大きな病院へ行ってください」だって。
それでステージはどれくらいかを聞くと教えてもらえず、地元で一番の総合病院へ紹介状を書いてもらう。
父は強がっているのが鋼のメンタルなのかわからないけど、メンタルが強いな、父はいろんな面で変人なのだが、やっぱり変人だから耐えられるんだな、と思った。
動揺することもショックがることもなく、いつもの父で飄々としていたから。
「俺んちはがん系統だからなぁ。家族の中で(父の両親、兄弟たち)俺が一番長生きしてる。全然ショックでもなんでもない。死ぬとも思ってないし。俺は死なんよ~。」
ここそのようなことを言ってたが、返す言葉なし。
死ぬと思ってないのは本人からしたらそりゃそうだ。
だけどこれまで生きてきてたくさんの身内、縁のあった人たちをお見送りしたのだから。
家族で交代で看病して看取った命もあったよね。
父よ、人はいつか必ず死ぬんだよ。
まあ、この状況でそんな鬼のようなこと口に出して言いませんけどね。
あれだけ好き放題に飲み食いしていたらがんにもなるよな・・・。
しかも糖尿病と高血圧の薬を服用してるし・・・病気になるリスクは高いよと思う。
ステージ3の大腸がん、早期発見できたらね・・・
予約日に紹介状を持参してまた親子で大きな総合病院へ。
医者からは「この状態をほおっておくと、腸閉塞、がんの進行、リンパの転移にも繋がるから取ってしまいましょう!」と非常にわかりやすくシンプルで親身に説明してくれた。
そこで初めて大腸検査した病院からのカラーの写真を見せられまして。
例えが悪いが、排水管の掃除をサボったらドロドロの汚れが黄色くこびりついてる、、、そんな感じだった。
イメージ的に黒くなっているのかと思いきや、場所にも進行具合にもよるのかな。
「もっと早く発見出来たらよかったのにね~こんなに大きくなる前に」
と言う医師に父はステージを聞くと、ステージ3だと言う。
ステージ3・・・chatGPTに聞いて見るか。
・がんが元の臓器を少し超えて広がっている段階
・リンパ節に転移がみられることが多い
・まだ遠くの臓器への転移(遠隔転移)はない
・治療の中心は「手術+術後の抗がん剤」
・治すことを目指せる可能性があるステージ
・予後は部位・進行具合・体力で個人差が大きい
・術後は生活面・気持ちのサポートがとても大切

抗がん剤治療をするよりも取ってしまう方が先決。
取れる部位にある腫瘍は取ってもらうしかないよね。
あまり良くないのだろうと思ったけれど、とりあえず悪いところの摘出手術をしてもらう方が先。
大腸周辺リンパも腫れてるらしいし、他の部位への転移も気がかりだった。
術後は抗がん剤治療とかしちゃうのか?いや、私は抗がん剤はしてほしくない、と瞬時にたくさんのことが頭をよぎる。
そこを考えるのはそうなってからの話、今じゃない。
とりあえず取れるものは取ってもらう。
医師からの30分近くの説明を受けたあと、その日のうちに手術へ向けて検査三昧。
大腸がん手術の前の検査内容
- 血液検査
- 身長、体重
- 心電図
- 心臓超音波検査
- リハビリ説明
その日のうちに検査のために院内を行ったり来たり、足腰の悪い父は歩行が大変なようだった。
無理させずに車いすを借りた方がよかったなあ。
今日受けられない転移検査の後日予約も入れてもらう。
- 造影剤を使ったCT検査
- 大腸のバリウム検査
病院の付き添い、送迎など・・・現在無職でよかった話*あとがき*
これらも別日で無職の私が連れて行くことになるのだが、このタイミングで仕事をしてなくて本当に良かったと思い知った。
検査ごとに受付場所も異なるし、父の衰えを改めて目の当たりにした。
方向音痴にはなるわ、受付の細かい手順がよくわからない。
駐車場から院内に入るだけでまずまずな距離で、老骨にはしんどいだろうから入口に停車して父を降ろし、駐車する。
そして高齢者の母に代わって父の検査の運転手に付き添い。
そしてこれだけ検査に行ったり入院だ、手術だとなると休みを確保しなくてはいけない。
融通の利く会社なら有給も取りやすいかもしれないが、どこもギリギリの人員体制で担っているのだ。
有給なんてあってないようなもの。
消化したいけどできないのが現状じゃないだろうか。
親の介護で仕事がままならない、辞めざるを得ない話も聞いたことがある。
母一人では頼りなく、姉は休みは取りにくいだろうし、そうなればたまたま無職の私がうってつけ。
私のようなキーパーソンがいて、両親も姉もしあわせだよなと自分を称えることにする。
検査ごとに受付場所も異なるし、父の衰えを改めて目の当たりにした。
方向音痴にはなるわ、受付の細かい手順がよくわからない。
まあ、誰かに聞けばいいんだけどさ。
私がいなかったらいないでどうにかなるんだけどさ。
手術前に術後に飲酒できるのかを心配していた父に
「しばらく我慢しな!」
と喝を入れなくてはいけなくなったり。
入院しているのに冬の為に貯蔵しておく野菜の心配ばかりしていたりで、ほとほと疲れてしまう相手なのだ。
だが小さくなった父を見て、育ててもらった恩はこんなカタチで返していかなきゃいけないんだなぁ・・・なんて。
親を頼っていた過去を振り返り、今度は私が頼られる側、やらなければならない側になったことを実感して、寂しくなったりもした。
無職だからこそできる親孝行でもあるかなって思ったら、大変だったけど運転手兼ねて付き添えたことはずっと残る。
自己満足だけど、後々になにもしなかったってよりもあのときにしてあげられた自分が未来に残る。
親孝行らしいこと、全然できてないなって感じてたけど、これも親孝行のひとつかもしれない。
機会があれば父の術後をそのうち書きたいです。

